白河市:釜子陣屋跡
白河市東釜子周辺は、江戸時代中期から明治維新まで越後高田藩の飛び地で、
藩の役所である「釜子陣屋」が置かれていました。
越後髙田藩は石高15万石でしたが、越後本領内の石高は6万石で残りの9万石は飛び地の奥州浅川領に有った為
村替えを実施し本領の石高を増やし奥州領の石高を減らす政策を行いその一環として
奥州領の陣屋を当初の浅川から釜子に移し、維新までの約60年間ここに陣屋が有ったそうですが
現在は解説版が有るだけです。
戊辰戦争で高田藩は新政府軍に付いたが、同陣屋は幕末の動乱で高田藩との連絡が途絶え、
このため奥羽越列藩同盟の勢力圏に位置していたことから、藩士たちは旧幕府軍に身を投じる結果となった。
白河は、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍を中心とする旧幕府軍の約100日間に及ぶ白河戦争の激戦地となり、
釜子陣屋は藩士が引払う際に火を付けた為、建物も文書も全く残っていないのだそうです。
市内の寺に同陣屋の高田藩士27人の墓があります。
磐梯山と磐越西線
川桁駅方面から磐梯山を望む
この近くの観音寺川の桜は近年人気が出て
時期には小さな川の両岸は人で賑わいます
今年は人混み禁止ですのでどうなるか・・・
川桁駅は以前にも紹介しましたが
廃線になった沼尻軽便鉄道の始発駅でした。
懐かしい廃線前の様子が有りましたのでこちらもリンクしておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=mmxjwxhtfOk
硫黄の採掘で賑わったこの鉄道も、昭和40年頃には衰退し
薬師寺一馬・住谷甲子郎(福田赳夫の甥)により電鉄株のネームバリューを使った仕手株となり
最後は倒産・廃線となった哀しい歴史があります。